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麻枝准の曲「doll/human」の世界
数日前にGUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-の最終話まで視聴し終えたnowsです。
GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-は2008年1月〜3月に放送されたアニメですが、シナリオ、OP・ED曲はとても良いと思うのですが、作画のほうが悪かったので良い評価を受けてはいないみたいです。
そんなGUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-のED曲「doll」は麻枝准さんが作詞作曲したものをLiaさんと多田葵さんが歌っています。
カップリング曲の「human」も麻枝准さん作詞作曲で、Liaさんが歌っています。
鍵っ子ブログさんでは「歌詞はとっても麻枝さんっぽく、Key Sounds Labelの新譜と言われても納得な雰囲気。」「なんだかちょっと前のKEY+LIAを彷彿とさせますね。」と言っているように、鍵っ子なら聴いて損はしないはずです。
私はかなり「doll」にはまって、何度もリピートして聴いていた時期もありました。
特にサビの部分がくちゃくちゃ良いんですよね。
先ほども書いたように「doll」にはLia Ver.さんと多田葵 Ver.があり、アニメでは話数ごとに使い分けされています。
ということで、何話でどちらが歌っているのかをまとめておきました。
ED曲「doll」の歌手
第1話 多田葵
第2話 Lia
第3話 Lia
第4話 多田葵
第5話 多田葵
第6話 Lia
第7話 Lia
第8話 多田葵 「スカボロー・フェア」(イングランド民謡)
第9話 Lia
第10話 多田葵
第11話 Lia
第12話 多田葵
第13話 Lia 「human」
※最終話のED「human」はフルで流されていました。
最終話で「human」が使われると思っていなかったのですが、そのことよりも今まで「doll」ばかり聴いていたので、「human」に対して注目していませんでした。
ですから、この最終回を視聴して「doll」と「human」を改めてきちんと聴いてみようと思ったのです。
そしたら、「doll/human」に隠された秘密に気付いたのです。
ということで、「doll/human」について語りたいと思います。
まずは「doll」ですが、この曲は人形が作り手に対して喜びや感謝の気持ちを精一杯伝えようとする歌という印象を受けました。
ですが、この歌理解しにくいこともあります。
最初に『心を持たない人形』とあるのに、『思い』や『気持ち』という言葉がある。
これは矛盾していると言えます。
では何故、心のない人形に気持ちが生じているのでしょう?
私の考えでは、ここで描かれている人形は心を持ち始めているのではないかと考えています。
『ありがとうという言葉の意味を覚えた』ということは、この人形は学習していることを示していると考えられます。
これだけでは説明不足かもしれませんが、後でこれを理由付ける内容が出てきます。
もう一つ、理解しがたいのは後半部分の歌詞です。
これらの歌詞は説明不足という感じがします。
今まで人形が作り手に伝えようとする内容だったのに、ここで旅の話になるのです。
これでは最後の『どんな気持ちになれるのかな』の気持ちは分かりませんね。
ここでこの件は一旦保留にして「human」について考えていきます。
この曲は「人生の意味」を問う歌という感じがします。
今までの麻枝准さんの歌の中で一番深いテーマを描いていると思います。
ところで、「doll」に対して相反するような意味をもつ「human」という曲がカップリングされているのは何故でしょう。
それは、最終回のサブタイトル「そしてピノッキオは人間に」が関わってくるのです。
GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-ではピノッキオという殺し屋が登場するのですが、そのピノッキオが最終話で人間になるわけです。
詳しくはアニメの方を見てください。
つまり、「human」はピノッキオが人間になったことを歌うために作られたのです。
ここで注目すべきところは、この「human」では『人間』を描いている歌のはずですが、この曲で描かれている『僕』は人間ではないということです。
この曲ので描かれている『僕』が人間であれば『同じ』ということを理解するには説明不足になります。
ということは、『僕』が人間でないのであれば、人形と考えることになりますね。
そうすればこの部分も理解できるようになると思います。
では、なぜ『僕』は人間ではなく、人形なのか。
今までの考察もひっくるめて考えると、ある考えに至ります。
それは、「doll」と「human」の歌詞はつながっているということです。
「doll」だけでは理解できなかったこの部分を次の歌詞につなげてみると、背中を押していた風が「human」の風につながっていると考えることができると思います。
「doll」ではありがとうという言葉の意味を覚えていたが、「human」でその気持ちとさよならの痛みを覚えたのです。
「doll」で歌っている世界の果てにある遠い海というのが「human」で歌っている生命の誕生する海を指していると分かるのです。
そうして辿り着いた時の『気持ち』への考えが深めることができるのです。
そうやって「doll」と「human」をつなげていくと、麻枝准さんが描いたもう一つの「キノッピオ」の物語が浮かび上がってくるはずです。
ここから先はみなさん一人ひとりで「doll/human」の世界に描かれているものを探し、感じ取っていただけたらと思います。
GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-は2008年1月〜3月に放送されたアニメですが、シナリオ、OP・ED曲はとても良いと思うのですが、作画のほうが悪かったので良い評価を受けてはいないみたいです。
そんなGUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-のED曲「doll」は麻枝准さんが作詞作曲したものをLiaさんと多田葵さんが歌っています。
カップリング曲の「human」も麻枝准さん作詞作曲で、Liaさんが歌っています。
鍵っ子ブログさんでは「歌詞はとっても麻枝さんっぽく、Key Sounds Labelの新譜と言われても納得な雰囲気。」「なんだかちょっと前のKEY+LIAを彷彿とさせますね。」と言っているように、鍵っ子なら聴いて損はしないはずです。
私はかなり「doll」にはまって、何度もリピートして聴いていた時期もありました。
特にサビの部分がくちゃくちゃ良いんですよね。
先ほども書いたように「doll」にはLia Ver.さんと多田葵 Ver.があり、アニメでは話数ごとに使い分けされています。
ということで、何話でどちらが歌っているのかをまとめておきました。
ED曲「doll」の歌手
第1話 多田葵
第2話 Lia
第3話 Lia
第4話 多田葵
第5話 多田葵
第6話 Lia
第7話 Lia
第8話 多田葵 「スカボロー・フェア」(イングランド民謡)
第9話 Lia
第10話 多田葵
第11話 Lia
第12話 多田葵
第13話 Lia 「human」
※最終話のED「human」はフルで流されていました。
最終話で「human」が使われると思っていなかったのですが、そのことよりも今まで「doll」ばかり聴いていたので、「human」に対して注目していませんでした。
ですから、この最終回を視聴して「doll」と「human」を改めてきちんと聴いてみようと思ったのです。
そしたら、「doll/human」に隠された秘密に気付いたのです。
ということで、「doll/human」について語りたいと思います。
まずは「doll」ですが、この曲は人形が作り手に対して喜びや感謝の気持ちを精一杯伝えようとする歌という印象を受けました。
ですが、この歌理解しにくいこともあります。
最初に『心を持たない人形』とあるのに、『思い』や『気持ち』という言葉がある。
これは矛盾していると言えます。
では何故、心のない人形に気持ちが生じているのでしょう?
私の考えでは、ここで描かれている人形は心を持ち始めているのではないかと考えています。
人形はありがとうという言葉の意味を覚えた
でもまだ使うことも
話すこともない
これだけでは説明不足かもしれませんが、後でこれを理由付ける内容が出てきます。
もう一つ、理解しがたいのは後半部分の歌詞です。
風が少し出てきて
僕の背を押すから
また旅の支度をすることにしたんだ
いつかゆけるなら遠い海へ
世界の果ての果てまで
そんな場所に辿り着けたら
どんな気持ちになれるのかな
今まで人形が作り手に伝えようとする内容だったのに、ここで旅の話になるのです。
これでは最後の『どんな気持ちになれるのかな』の気持ちは分かりませんね。
ここでこの件は一旦保留にして「human」について考えていきます。
この曲は「人生の意味」を問う歌という感じがします。
今までの麻枝准さんの歌の中で一番深いテーマを描いていると思います。
ところで、「doll」に対して相反するような意味をもつ「human」という曲がカップリングされているのは何故でしょう。
それは、最終回のサブタイトル「そしてピノッキオは人間に」が関わってくるのです。
GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-ではピノッキオという殺し屋が登場するのですが、そのピノッキオが最終話で人間になるわけです。
詳しくはアニメの方を見てください。
つまり、「human」はピノッキオが人間になったことを歌うために作られたのです。
ここで注目すべきところは、この「human」では『人間』を描いている歌のはずですが、この曲で描かれている『僕』は人間ではないということです。
わずかな心さえも消えてしまうというのなら
その人のいた場所は
僕らと同じ
かすかなこの気持ちも伝わらないというなら
この僕がいた場所も
ないのと同じ
ということは、『僕』が人間でないのであれば、人形と考えることになりますね。
そうすればこの部分も理解できるようになると思います。
では、なぜ『僕』は人間ではなく、人形なのか。
今までの考察もひっくるめて考えると、ある考えに至ります。
それは、「doll」と「human」の歌詞はつながっているということです。
風が少し出てきて
僕の背を押すから
また旅の支度をすることにしたんだ
町から町へさまよう
風に流されるようにして
人はどこに行く?
僕もそのひとつになる
人形はありがとうという言葉の意味を覚えた
でもまだ使うことも
話すこともない
ありがとうという気持ちも
さよならをする痛みも
覚えて歩いてきた
いつかゆけるなら遠い海へ
世界の果ての果てまで
そんな場所に辿り着けたら
どんな気持ちになれるのかな
幾多の足跡たち
僕は追いかけ追い越す
ばらばらに砕けてもその向こう側へ
終わりが訪れ今
僕の生命が始まる
あたたかな水の中で身をまるめていた
そうして辿り着いた時の『気持ち』への考えが深めることができるのです。
そうやって「doll」と「human」をつなげていくと、麻枝准さんが描いたもう一つの「キノッピオ」の物語が浮かび上がってくるはずです。
ここから先はみなさん一人ひとりで「doll/human」の世界に描かれているものを探し、感じ取っていただけたらと思います。
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